新年の第一歩が本日の元旦になるわけですが、数年前までは紙の手帳を使っており、毎年、元旦には抱負を考えて、丁寧な字で、表紙をめくったページに大き目な文字で書くのがきまりでした。
しかし、この手帳、あるときからスパッと辞めました。
手帳をやめた理由
スケジュールは、スマホに入れておくと、通知機能で指定した時間にアラームがなり、次の予定がある場合は、かなり便利です。
また、デジタルデータの場合、グループ共有するとメンバー間で空き時間が分かり、これもまた便利。
……なんですが、ボクが手帳を辞めた理由は、そういったメリットを採用したんではないんです。
先ほど挙げた便利な機能は、それはそれとして使いながら、紙の手帳でも二重管理をしていましたから。
じゃあ、手帳やめた理由なんなのか?
それは、手帳を一度、紛失したからです。
最終的には、会社の机の上、書類と書類の間から、翌日にはひょっこりと出てきたのですが、それまでの丸一日は気が気ではなかったです。
だって、あんなことやこんなこと、恥ずかしいことがたくさん手帳には書いてあったから。
誰かに拾われたらどうしよう。
お客さん先に忘れてきたのかも。
社内の打ち合わせで会議室に忘れてたかも。
思い当たる紛失場所は大量にあって、一応、すぐに探しに行ったのですが、その時は見つからず。
「手帳には名前を書いていなかったのですが、拾われたら、きっと中身を見られてしまう。だったら、あんな抱負を書かなきゃよかった」
なんて、悔やんで悔やみまくりました。
それっきり、手帳を使うことはやめました。
ちなみに、スマホはロックをかけているので、仮に失くしても、拾われても安心です。
それからは「家で」「ノートに」書く
ただ、書くことは継続していました。
特に、自分の進めべきキャリアを見失ってからは、その不安な気持ちを含めて、ノートに書くようにして、自己分析をしてきました。
このブログでも公開していますが、本を読んだあとの感想もノートにまとめています。
場所は家に限定して、市販のノートに書くようにして、いまも継続しています。
ちなみに、あまりに恥ずかしいことを書いた場合は、シュレッダーを購入したので、断裁してしまっています。
そうそう、キャリアコンサルタントの受験勉強中も書いて覚えるような感じでした。
この「書く」というのは、頭の中にあることを明確化にしていくことなんですが、自分一人だとけっこうしんどいし、難しかったりします。
キャリコンの試験上は、カウンセリング中にメモ禁止のCC協議会でボクは受験しましたが、メモを取ることがOKなJCDAの方が実は好きだったりします。
仕事上でもそうですが、相手の話したことを、まとめて図や文章にすると、結構、安心してもらうことができますし、もち違っていたら、こちらの作成したもののどこか違うかという具体的な話もできますし。
これをパソコンやタブレットで実施する方もいますが、それを見せられると、相手の距離感が少し離れていしまうような気がします。
とはいえ、ボクは字がものすごくヘタッピなので、デジタルデータの方が相手には読みやすいのかもしれませんけど。
2022年元旦に書いたこと
2022年の元旦、今日に書いたことですが、テーマはこんなことでした。
・自分のキャリアコンサルタントのスタイル
これは、過去に出会ったキャリアコンサルタントの方々に影響を受けたことはもちろん、自分ならではのスタイルを考えながら書いていました。
だいたいは決まってきたので、あとは、1年かけて、いろんなことに挑戦しながら、そのスタイルに近づけていきたいと思っています。
自分ができることとしたいことの統合
憧れのキャリアコンサルタントは多くいますが、ボクはその人じゃないので、まず、「なろう」という考えは排除しました。
これ、実は重要かもとノートに書きながら思いました。
憧れの方やロールモデルができると、ついついその日になろうとするんです。(ボクだけかもしれませんが。)
そうすると、ムリが出てしまいます。
自分らしさもなくなります。
また、憧れの人に近づくことはできると思いますが、憧れの人とは同一にはなれません。その状態は劣化コピーとなってしまいます。
そういう意味では、ノートに書いた自分に出来ることっていうのを基本軸にして、この人みたいになりたいなぁっていう希望することを結びつけることが現実的なような気がしました。
書きまくるのが重要
ノーツにはかなり汚い字で書いています。
思いついたら、忘れないうちに殴り書きして、たまにボク自身でも読めない文字だったりもします。
学生時代は、「ノートはきれいに」書くことに命を懸けていました。
しかし、何のためにノートに書くかということを理解していなかったのかなといまは感じています。
思考を文字にすると、次から次に別の思考へ派生していきます。
ライフキャリアについてはボクはこれってかなり重要なことだと最近気が付きました。
古いスポーツの例えでいうと、野球の千本ノックのような感じで、とにかく体を動かすように、手を動かすと、見えてくるものがあるんです。
キャリコン受験中には、論述試験は意味がないんじゃないかなとかなり悩んでいたのですが、キャリアの検討や支援において文字にするということは、自ら継続してやってみると、とーっても大切。
いまさら気づいたのもちょっと遅すぎるかもしれませんが、ボクのカウンセリング方法としては、明文化と口頭化を合わせていきたいと思っていたりします。